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弁護士ストーリーズ第2回 窪田宇都弁護士

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【弁護士ストーリーズ】

第2回:窪田宇都弁護士:京大在学10年、岡山への逃避行から鮮やかな大逆転へ。窪田宇都の知られざるモラトリアム

 

創知法律事務所の個性豊かな弁護士たちの素顔に迫るインタビュー企画「弁護士ストーリーズ」

第2回は、代表弁護士の藤本一郎が、入所5年目を迎えた中堅・窪田宇都(くぼた・たかと)弁護士にインタビューを行いました。

名門・高松高校から京都大学法学部に現役合格を果たしたものの、卒業までにかかった年月はなんと「8年」。京都大学法科大学院の在学も併せると、「10年」も京都大学にいたことになった窪田弁護士。休学すらせず、ひたすら留年を重ねた壮大なモラトリアム期間に、彼は一体何をしていたのか?そして、そこからどうやってトップクラスの成績で法科大学院を抜け、弁護士へと至ったのか。驚きの軌跡に迫ります。

窪田宇都弁護士 藤本一郎弁護士

京都大学「10年間」の真実。休学なし・留年4年フル活用

藤本: 「創知の弁護士ヒストリー」第2弾ということで、今回は窪田宇都先生にお話を伺います。窪田先生は74期で、この4月で丸4年が終わり、いよいよ5年目に入りましたね。

さて、窪田先生は、私が当時京都大学法科大学院で担当していた「渉外契約演習」の授業の受講生でしたから、私も、先生のことは入所前から良く知っていました。今回、先生のご経歴を改めてウェブサイトで確認しているのですが、名門高松高校のご卒業が2010年3月、京都大学法学部の卒業が2018年3月ということで、8年間があります。これは、4浪して入学されたということですか?

窪田: いえ、京大には高校卒業直後の4月、現役で入学しています。なので、純粋に人より4年長く京都大学法学部に通ったということになります。法科大学院を加えると10年間通いました。

藤本: なるほど。よく「京大生は休学4年・留年4年で最長12年在籍できる」と言われますが、窪田先生は休学と留年、どちらの制度を使ったんですか?

窪田: 休学は一切していません。純粋に「留年」だけで4年間を使いました。つまり、学費を一番多く払ったパターンですね(笑)。親が払ってくれたのですが。

藤本: まるまる4年分の追加学費!ちなみに人に聞かれたら、この8年間は、何をしていたとお答えになるのですか?

窪田:そうですね・・・ちょっと勘違いもありまして、最初の5年くらいは、完全なモラトリアム期間というか・・・。

でも、前半は、体育会系のハンドボール部に所属していたので、とにかくそれを頑張っていました。一生懸命練習して、筋トレして、ご飯を食べて……という生活です。そして、3回生の終わり頃に引退しました。

藤本: ちょっと待ってください。進級もしておらず、授業も受けていない(1回生でやるべき授業も終わっていない)のに、3回生の終わりにはいっちょ前に「引退」はしたんですか?

窪田: はい、一人前に引退しましたね(笑)。

彼女を追って岡山へ。自転車で広島まで走る日々

藤本: 義務は履行していないのに、引退の権利は行使したわけですね(笑)。引退後は何をされていたんですか?

窪田: ちょうど私が20歳になったばかりの頃、少し年上の生まれて初めての彼女ができまして。私が3回生を終えるタイミングで、彼女が岡山県で就職することになったんです。部活も引退して暇だったので、「一緒についていこうかな」と。

そこから1年半ほど、事実上京都から岡山に拠点を移して過ごしていました。

藤本: つまり、4回生まるまると5回生の途中までは岡山にいたと。彼女は平日昼間はお仕事ですよね。先生はその間、何をしていたんですか?

窪田: 映画を観たり、あとは自転車によく乗っていました。ホームセンターや街の自転車屋さんで買えるような、4~5万円の安いロードバイクで、岡山から広島まで1泊2日で行ったり、静岡の掛川あたりまで走ったり……。

藤本: 本格的ですね!でも、何泊も自転車旅行に出かけたら、夜帰ってくる彼女をほったらかしにすることになりませんか?

窪田: そうですね。ただ、ずっと家にいるのも悪いというか、お互い一人の時間も必要かなと思ったので、やむを得ず自転車で遠出をしていました。もちろん、生活費を稼ぐために、パンの袋詰めや肉体労働系の派遣アルバイトなども結構やっていましたよ。

奇跡の「1単位」と、法学部教務からの呼び出し

藤本: 自由を謳歌した岡山生活から、なぜ京都に戻ることになったのでしょうか。

窪田: まあ、彼女とお別れすることになりまして。その後もしばらくは岡山にいたのですが、さすがにずっといるわけにもいかないなと。

自由に謳歌しつつも、心のどこかには常に「大学、どうしよう……」という思いがあったんです。何しろ、4年間在籍して、少なくとも自分から積極的に取った単位は「ゼロ」でしたから。

藤本: 「積極的に取った単位」ですか?

窪田: 実は、岡山から戻ったときに成績を確認したら、「1単位」だけあったことに気づいたんです(※注:平成22年度前期「英語IA」70点でした。)。1回生の最初の頃、ゴールデンウィーク明けくらいまで出席していた強制割り当ての英語の授業でした。

4年間でゼロだと思っていたのに「1単位」だけ残っていた。これが、「残りの127単位を頑張って取れ」という神からのメッセージのような気がして、少しやる気のスイッチが入りました。

藤本: そこから、5回生から単位を取り始めたわけですね。

窪田: はい。そんな折、当時いらっしゃったドイツ法の服部先生という方が、任意で立ち上げていた「単位を全く取っていないヤバい学生を自主的に救済する活動」の網に、真っ先に引っかかりまして。何しろ4年で1単位の大物ですから(笑)。

突然、携帯に法学部教務から「来い」と電話がかかってきたんです。

藤本: 法学部教務から直接!それは普通なら「退学宣告」だと思っちゃいますね。

窪田: 「もう無理だ、終わった」と思って、最後の京都大学のつもりで出向いたんです。そうしたら、教務の方から「8年間かけて単位を取ればいいよ」と優しく言われまして。そこから本格的に、授業を受け始めました。

両親からの控え目な愛と、法科大学院での覚醒

藤本: 手元にある先生の成績証明書を拝見していますが、これ、いつ取ったかを見なければ、ものすごく立派な成績表なんですよね。勉強を再開して間もない平成26年度(5回生相当)の専門科目「民法第三部」で、既に81点が出ています。全く勉強していなかった状態から、どうやってこの成績を?

窪田: 学部の時の法律の勉強は、とにかく「指定の教科書だけを永遠に読む」というスタイルでした。わからないところは放置して、最初から最後まで繰り返し読む。変な予備校の知識などが一切入っていなかったので、教科書通りに、言葉通りに素直に理解できたのが逆に良かったのかもしれません。

藤本: へえ。まだ司法試験とか、法科大学院を意識していない頃に、それは凄いですね。ちなみに、民法第三部の先生は、どなただったのですか?

窪田:あ、いや、それがすいません。授業とか、当時は行ってなかったので、わからないのです(苦笑)。ただ、指定された教科書を繰り返し読んでいただけというか・・・。法学部のコミュニティーもないし、なにせ入学時の友人は大半卒業していますから・・・。

藤本:まあでも、5回生になって大学に復帰して、単位が取れ始めて、それから、卒業することを目標に頑張るようになったのですね。

窪田:はい、単位も揃い始めたので、頑張れば、7回生の時に卒業もできそうだったのです。単位数的には、ただ、遅いけど、就職活動もやってみたんですが、箸にも棒にもひっかからんなあという感じで・・・。それで、7回生、平成28年の冬くらいに、司法試験でも目指してみようかなあと、いわば消極的に思うようになったのです。

藤本:それは、予備試験から?法科大学院(ロースクール)に進学してから?

窪田:いや、予備試験のような狭い門を目標にするのはとても・・・。司法試験をめざすなら、なるべく確実な、ロースクールを経由してから目指そうと思いました。

藤本:そうすると、ロースクール入試の準備のために8回生になったようなものですね。この時に、法学部8年+法科大学院2年と、大学10年在籍が事実上決まったと思うのですが、ご両親は10年間も学費や生活費を払い続けることになりましたが、何か言われませんでしたか?

窪田: 両親(父が医師、母が看護師)は、私が会社勤めをするよりも専門職に就くことを望んでいたフシがあったので、「弁護士になるなら多少時間がかかっても格好がつく」と許してくれました。

最低限生きていくための費用は全部出してくれましたね。専門書などの高い本代も、父が製薬会社のアンケートを暇さえあれば書きまくって、謝礼の「図書カード」を大量に送ってくれたんです。普通のお医者さんは面倒くさがってやらないようなアンケートを、私のためにせっせとこなしてくれていました。

藤本: お父様、先生のために一生懸命図書カードを製造してくれていたんですね(笑)。

そうして入った京大ロースクールでは、基幹科目のGPA「3.76」(全学年でトップ10前後)という非常に優秀な成績を収められています。同級生の中で、勉強面で突き抜けられた秘訣は何だったのでしょうか?

窪田: 自分一人でやる勉強と、みんなでやる勉強の「役割分担」が上手くできていたことだと思います。知識のインプットや、調べればわかることは自分一人で効率よくやる。一方で、答えがないような法律の構造的な議論については、友人たちとゼミを組んで話し合い、モヤモヤを整理する。このバランスが、自分の中でとても機能していました。

だから、勉強時間自体はそれなりに取っていたんですけど、いわゆる「プラトー(学習の停滞期)」のようなものはあまり感じずに進められました。ただ、気持ちの面では、ロースクールに入る前の最初の5〜6年がずっと停滞期だったので、「こんなところで立ち止まっているわけにはいかんやろ」という強い思いが当時は常にありましたね。

藤本:なるほど、その悔しさが原動力になっていたわけですね。そういう中で実際に成績もグングン良くなり、自信もついていった。そして、メインは法科大学院の勉強でありながら、既修1年目の時から予備試験を受けられて、見事合格されました。

窪田:はい、受けましたね。

藤本:さらに既修2年目には司法試験も受験して合格された。当時はまだ現在の「在学中受験」のような制度がない時代でしたから、京都大学のロースクールとはいえ、既修2年の在学中に司法試験まで受かってしまうというのは、そう多くないケースでしたね。

東京などでは、在学中にそこまで受かるとロースクールを中退して、すぐに実務の世界へ飛び込んだり情報収集を始めたりする人も多かったのですが、窪田先生は退学せずにそのまま残られました。何か理由はあったんですか?

窪田:一つは、やはりちゃんと学位が欲しかったというのがまずあります。将来もし留学に行くようなことがあれば、学位はあってしかるべきだなと。

もう一つは、試験勉強がメインだった生活から離れて、(司法試験合格後の法科大学院在籍の)最後の半年間は自分の興味に沿った授業を受けたいという気持ちがありました。特に藤本先生の授業のように、リアルな実務家弁護士の講義を受けてみたいという思いが強かったです。あとは、2年間できちんと期間内に卒業して単位を取るぞということを、自分自身に証明したいという意地のような部分もありました。

藤本:確かに、学部で8年過ごしたという背景を考えると、院の2年間はきっちり期間内にやり切って卒業するというのは、自分の中でどうしても達成したい目標になりますよね。

 

就職活動での苦戦

藤本:そうしてロースクールの成績も良く、当時は珍しかった在学中合格も果たして、相当自信がついていてもおかしくない状況でした。しかし、その割には法律事務所選び(就活)でかなり苦戦されていた印象があります。当時、講師として見ていても大変そうだなと感じていたのですが、あれは何が原因だったんでしょう?

窪田:今振り返ると、まずは自分がどんな事務所なのかよく分かっていないまま、学生でも名前を知っているような、採用人数の非常に少ない有名どころばかりに応募していたというのが一つです。

それともう一つは、就活のときに自分自身のキャラクターをうまくアピールできず、どこか暗くなってしまっていたんですよね。

藤本:暗くなっていた、というと?

窪田:周りには自分より4つも5つも若い子たちがいて、成績だって京大の上の層はみんな優秀でどんぐりの背比べです。「自分は1年早く受かったとはいえ、年齢的には4年遅れている。なんだかよく分からない時空を行き来しているな」と、彼らと自分を比べてしまっていたんです。そう思ううちに、だんだん卑屈になってしまっていたのが大きかったと思います。

藤本:なるほど……。実はちょうどその就活の時期に、窪田先生から頼まれて、法律事務所に提出するエントリーシート(自己紹介文)を見せてもらったことがありましたよね。私は採用側の事務所としてではなく、あくまで「渉外契約演習」の講師という立場で拝見したのですが、見て本当に驚いたんです(笑)。

窪田:ありましたね(苦笑)。

藤本:自分の良いところやポジティブな面が全く書かれていなくて、「自分はこんなに時間がかかってしようもない人間なんですが、なんとかここまでやってきました」みたいなことばかりが並んでいて。

私の印象では、「絶対に振られることが分かっている男が、最後に自分の努力や、やったことだけをネガティブに伝えるラブレター」みたいだったんです。受け取る「女子」からすれば、全然嬉しくないラブレターなんですよ。「これは書類で落ちるな」と思ったので、もっとその時間をポジティブに捉えて書いたらどうだとアドバイスした記憶があります。

窪田:よく覚えています。実はあの裏話があって、元々は藤本先生に見せるつもりは全然なかったんです(笑)。

藤本:えっ、そうだったんですか?初めて聞きました。

窪田:はい(笑)。親から進路についてアドバイスなんてされたことは一度もなかったんですけど、エントリーシートが全然通らないという話を家でポロッとしたら、母親から「あなたが授業を取ってるあの面白い弁護士の先生がいるんやから、その人に見てもらったらええんちゃう?」と言われたのがきっかけだったんです。

藤本:へえ!お母様、本当に素晴らしいアドバイスをされましたね。突然相談に来られたので驚きましたが、そんな経緯があったとは。

でも、そこから履歴書のテイストを変えたことで、状況は変わっていったんですよね?

窪田:はい、少し書き方を変えたら書類が通り始めました。ただ、その後いくつかの事務所を見学したり、弁護士の先生方とお会いしてご飯を食べたりしたんですが、大変失礼ながら、お会いした弁護士の先生方に対して、今ひとつ「どんな人たちなのか、はっきり分からないな」という感想しか残らなくて。

そうなったときに、少なくとも僕のことを他の誰よりも理解してくれていて、僕自身もよく人柄を知っている藤本先生の事務所にアプライするのが、一番いいんじゃないかと思うようになったんです。

藤本:連絡をもらって数日後にすぐご飯を食べに行って、その場で入所が決まりましたよね。当時の創知法律事務所は、今よりも更に小さな事務所でしたし、私は「窪田先生が一番行きたいところに行くのが一番いい」と思っていたので、こちらから誘うようなことは一切していなかったんです。だからアプローチをもらったときは驚きましたが、優秀でしっかりした学生だと分かっていたので、ぜひにということでサクッと内定を出させてもらいました。

窪田:そうでしたね。

これから進路を選ぶ後輩たちへのメッセージ

藤本:あれから約6年が経ちました。今日たまたま司法試験の日ということもあって、この記事をこれから進路や事務所選びに悩むロースクール生や受験生が見る機会もあると思います。

ご自身の10年間の学生生活、そして就活での葛藤を振り返って、後輩たちへアドバイスをいただけますか。

窪田:一番伝えたいのは、「人との出会い」を大切にしてほしいということです。

自分一人で深く考えることももちろん重要ですが、この世界を目指す人たちは考える力がある分、一人で抱え込みすぎると良からぬ方向(ネガティブな思考)へ突き進んでしまいがちです。

迷ったときは、親でも、ロースクールの先生でも誰でもいいので、自分が悩んでいることを素直に打ち明けて相談してみてほしいなと思います。アドバイスをもらって「なるほど」と思うこともあれば、「自分は違うな」と気づいて別の道が見えることもあります。自分より長く生きている人は、何らかの形で必ず意味のあるヒントをくれますから。

学生のうちは行動範囲が限られているかもしれませんが、いろんな機会を活用して積極的に人と出会い、対話をしていくことが、結果として自分を良い方向へ導いてくれるはずです。

藤本:自分だけで完結させず、信頼できる人との関わりの中で道を開いてしていく。素晴らしいアドバイスですね。

……ちなみにあえて最後に聞きますが、もしもう一度人生をやり直せるなら、次は京都大学に何年行きますか?

窪田:それはもう、ストレートで「学部4年プラス院2年」の6年で行きます(笑)。

藤本:ははは!でも、それだと今の深みのある窪田先生は生まれなかった気もしますね。窪田先生が少し遠回りして在籍してくれたおかげで、私の授業の時期ともぴったり重なり、こうして出会うことができたわけですから、私個人としても、創知と窪田弁護士とが出会うきっかけを与えてくれた、その10年間に感謝したいです。今日は本当にありがとうございました。

窪田:ありがとうございました。